富士大石寺明細誌
日蓮正宗第四八世日量上人御作
@弘安二年十月十二日又はその前後一ヶ月でもよい。日蓮正宗大石寺において「本門戒壇の大御本尊」と呼称する板本尊の「全相貌」を、身延山で日蓮大聖人が認めたという証明。
「日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条自筆の手形一通之有り」(富士大石寺明細誌 原本)
要約
日法師が板本尊・御影像を彫刻し、これを称賛するために、現職に彫尅阿闍梨を大聖人から頂いた。また御影像を彫刻した旨の手形(書状)これ有り」
日量上人はその手形をご覧遊ばされている。以上、富士大石寺明細誌に明らかである。
Aその板本尊を弟子の日法が彫刻したという証明。
同上、富士大石寺明細誌に明らかである。
B弘安二年十月十二日又はその前後一ヶ月でもよい。板本尊造立に日蓮大聖人が関わったという証明。日蓮大聖人が本尊を木製にせよと指示された証拠、彫刻中の日法に指南をされた証拠等々、何でもよい、一つでも出すべし。
同上、富士大石寺明細誌に明らかである。
Cその板本尊を日蓮大聖人が「出世の本懐」と意義付けた直接の証拠。
件の疑難、既に諸氏が破折しており、すでに崩壊しておる。
「日蓮一期弘法白蓮阿闍梨日興付属之可為本門弘通大導師也国主被立此法者富士山本門寺戒壇可被建立也可待時而已事戒法謂是也」
「日興身に宛て賜る所の弘安二年大御本尊日目に之を授与し本門寺に掛け奉るべきなり」
Dその板本尊を広宣流布の時に「本門寺の戒壇に安置する御本尊」と、日蓮大聖人自身が意義付けた証拠。
弘安二年十月十二日の大御本尊の脇書に「本門戒壇」と大聖人が認めておられること明白である。
E日蓮大聖人がその板本尊以外の本尊を「一機一縁」と意義付けた、称した証拠。
大聖人御図顕の多々なる本尊のうち、「本門戒壇」と有るのは弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊のみであることから、明らかである。以下「脇書集」参照のこと。
F日蓮大聖人が「文永、建治、弘安期の御本尊には、年代に応じて差異がある」と指南した証拠。後代の人物の説法ではない。日蓮大聖人自身の教示を。
薄脳の極めである。大聖人御図顕の本尊には、「二千二百二十余年」、「二千二百三十余年」の両方が存在する。大御本尊は「二千二百二十余年」であるが、それを以て大御本尊偽作説にはならぬ。
既に文証が存在する。
「日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条自筆の手形一通之有り」(富士大石寺明細誌 原本)
G日蓮大聖人が「曼荼羅本尊には様々な意義付けというものがあり、自身が図顕した中でも特定の一つの曼荼羅本尊だけが特別である」とした証拠。
大聖人「三大秘法抄】に曰く、
「戒壇とは王法仏法に冥し仏法王法に合し王臣一同三秘密法持時、勅宣並御教書申下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇建立すべき者か、時を待つべきのみ事戒法申是なり、三国並一閻浮提人懴悔滅罪戒法なるのみならず、大梵天王帝釈等来下して踏み給うべき戒壇なり」
「王仏冥合」、即ち全世界の人々が信じ奉る「本門戒壇」に御安置申し上げる本尊は、弘安二年十月十二日の大御本尊以外にはあるまい。
H日蓮大聖人が「本尊に関する権能を唯授一人で血脈相承」をした証拠。
「代々の聖人悉く日蓮と申す意なり」(御本尊七箇之相承)
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」(本因妙抄)
その他の御書、及び歴代猊下の御指南多々あり。
I「本門戒壇の大御本尊」という、当たり前のように思っていた呼称表現は、いつ、どこで誰が言い出したのか?
日蓮大聖人が仰せである、「本門戒壇」と。
J「本門戒壇の大御本尊は日蓮大聖人の出世の本懐である」とは、いつ、どこで、誰が言い出したのか?
大聖人が仰せである。
「南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三
十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七
年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(聖人御難事)
K大石寺貫主の唯授一人血脈相承による仏法継承・令法久住の根拠である「大聖人が日興上人に授与されたという二箇相承書」は、いつ、どこで、誰が言い出したのか?
その書が日蓮真筆である証拠は?
単なる言いがかりの極めであり、捨て置く。写本多々あり。
以上
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