逆転敗訴で慌てふためく 創価学会 池田大作名誉会長
月刊『新潮45』平成21年6月号より
矢野絢也
元公明党委員長
公明党OB三人が筆者の手許から持ち去った手帳。その返還を求める裁判は、公明党と学会側にとって想定外の結果となった。
手帳を奪いに来た元議員たち
その瞬間、法廷にいた公明党元国会議員の三人は、判決の意味が分からず、ポカンとしていたという。
公明党OB三人が私と講談社を訴えていた裁判で、東京高裁の判決が三月末に出され、私は逆転完全勝訴することができた。まだ最高裁の審判が残っているが、今、別途、創価学会による組織ぐるみの一連の反社会的行為を人権蹂躙事件として提訴している私にとって、今後の訴訟において、大きな意味のある判決だった。
先の三人は今から四年前、平成十七年五月、私の手元から公明党書記長、委員長時代から克明にメモしてきた四十年近くの私の手帳と資料を強引に持ち去った。そのことが平成十七年の七月から八月にかけて『週刊現代』で二度にわたって報道された。三人はこの記事が事実無根だとして、私と『週刊現代』発行元の講談社を名誉毀損で提訴してきた。私もこれに対抗して手帳の返還ならびに、彼らが行った不法行為に対して損害賠償を求めて提訴していた。
裁判にいたった経緯を説明しよう。客観性を保持するため、以下の会話文筆は主として判決において事実と認定された記述から引用する。
平成十七年四月二十細に、私ぱ創価学会の西口良三副会長(当時)に、新宿区にあ5創価学会斥佃記念国際会館に呼び出ざれた。そこで会ったところ、私が十二年も前に書いた『文藝春秋』の手記のことで詰問されたのである。
この手記は平成五年から六年にかけて私の政治回想録として同誌に連載したもので、「創価学会と公明党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の記述があったことを激しく非難された。「創価学会皆年部が怒っている」「矢野の命も危ない」などと脅してきて、あらかじめ用意してあった文案を提示して「このように謝罪文を書いてくれ」と書類を差し出してきた。十二年も前のことを今頃言い出すのはおかしな話だとは思った。 だが、歯に衣着せず言えば、政教一致問題はまぎれもない事実だ。創価学会、公明党にとってアキレス腱なのだ。そこを突かれると狂乱じみた反駁をすることは昔も今も変わらない。「政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の私の記述は間接的表現でやんわりと自省をうながしたつもりだったが、やはりあの当時としては刺激的だったのかもしれない。そういう思いも私にあり、西口氏らは、大変な剣幕での威迫まじりの要求だったので、呑まざるをえなかった。
西口氏はその謝罪文を『聖教新聞』に載せたいと言ってきた。それには私も拒否したが、四月二十八日付の『聖教新聞』で「公明党元委員長の矢野氏が謝罪」と大きな見出し付で報道された。この記事が掲載された当日、私は所用でかねてから予定していたヨーロッパ出張に出かけたのだが、その途中、当時海外に居住していた私の長男を通して、長谷川重夫副会長から再三、「連絡をするように」との伝言があった。その都度、電話をしたところ、「学会の青年部が強硬だ。事態を収めるため、帰国日である五月十四日に青年部と会ってほしい」と強く面談を求められたため、応じることにした。
五月十四日に帰国、自宅に戻らず、戸田記念国際会館に直行した。そこで杉山保青年部長ら首脳五人に取り囲まれて着座、「土下座しろ」「人命にかかわるかもしれない」「政治評論家をやめるべきだ」などと威嚇された。土下座は拒否したものの、身の危険を感じ、青年部の用意した「文春のことは謝る」「今後は書かない」などの趣旨の文書に署名し、政治評論家を辞めることを私は約束させられたのである。
翌日の五月十五日、午後五時ごろになって、今度は元公明党議員三名が何のアポイントもなく、私の家を訪ねてきた。大川清幸元参議院議員、伏木和雄元衆議院議員、黒柳明元参議院議員である。彼らは私が議員時代につけてきた手帳や資料を引き渡せというのである。手帳には、私が議員時代に学会首脳から頼まれて解決してきた創価学会絡みの暗部に学会の税金問題、ルノアール事件、捨て金庫事件、言論妨害事件、月刊ペン事件、本山との抗争など=が克明にメモされていた。創価学会にとっては危険な品物だから、その手帳の奪取に動きだしたのだと思った。
家探しまで強要
私は過去に学会から糾弾された人々、竹入義勝元公明党委員長や藤原行正元公明党都議らが、学会機関紙『聖教新聞』などで口汚く悪口や罵詈されるなど、非道なバッシングを受けてきたことを身にしみて知っている。私も昨夜の青年部首脳との会議において「土下座せよ」などと恫喝され、身の危険すら感じていたので、学会との揉め事はできるだけ避けたい気はあった。だが、彼らから「それ(手帳)を渡さないと皆怒り狂って何が起こるか分からない」と脅されたが、政局の山場での他党幹部との打ち合わせ内容や私の銀行口座などプライベートなことまで書いてある手帳を渡すことには同意できなかった。
しかし、彼らの「渡さないなら覚悟はできていますね」など強引な要求に、結局、私は言い争ったものの、押し切られてしまった。彼らは一度は帰っていったものの、驚いたことに一時間もたたずに私の自宅を再訪問してきた。彼らが言うには、党本部で、藤井富雄元公明党都議・元公明代表と大久保直彦元衆議院議員から「子供の使いじゃないか」と怒られたので、今手許にある分だけでも手帳を寄こせと言うのだ。黒柳氏が「どうしてもだめか」と迫ってきたので、身の危険を感じた私は仕方なく、手許にあった平成十四年から平成十六年分だけ彼らに渡すことにしたのである。
そのうえ驚くことに、彼らは家探しまで要求してきた。黒柳氏が「西口さん(当時、創価学会副会長)から三階の事務所を一回、見学して来いって言われてさ」などと述べて、自宅を案内するように求めてきた。この要求も断ったが、執拗に迫ってきて、やむをえず家の中を案内させられた。
その翌日十六日、私は憤懣をおさめきれず、学会の長谷川副会長に電話し抗議するとともに、このような暴挙を差し止めるよう要望した。長谷川氏は「相談して返事する」とのことで、折り返し電話で「学会首脳と相談したところ、公明党にまかせる。開封厳禁だけはキッチリ約束させておいてくれ」とのことだった。この手帳持ち去り事件に創価学会が関与していることは、このことからも明白であるといえる。
その後も残りの手帳を引き取るために彼らは五月十七日と三十日に二度にわたり、拙宅を訪問。要するに、都合四回私の家を訪問したことになる。十七日、用意していた手帳を段ボール箱につめてガムテープで封印して渡すに当たって、私は彼らと念書を交わした。将来彼らが「手帳など預かっていない」と白を切って否認することがないように「預ける」と明記してあり、厳重保管の責任と開封禁止の項目もつけた。
三十日の訪間でも彼らは家探しを要求してきた。三人から無理やり自宅内を案内させられている最中、私は妻が帰宅したことを知らず、妻の部屋の扉を開けてしまった。着替え中の妻が三人と目が合い、「きゃあ、きゃあ」と大声を出す一幕があった。彼らが退去した後、妻は「なぜ、あの人たちに二回も家探しをさせるのか」と私に抗議してきたが、私は黙るしかなかった。
この間、五月十八日には、学会青年部からの要求を実行するため、『日刊ゲンダイ』の編集長に電話をかけ、当時連載していたコラムの打ち切りを申し出た。その後は、政治評論家としての活動は一切辞めて、テレビ番組の出演もすべて断るようにした。
しかし、四月の末から始まった『聖教新聞』、『公明新聞』などによる私への誹謗中傷は激しくなる一方だった。私にも監視尾行がづくようになった。監視尾行は執拗を極めた。常時、数台の車輛と十人近い人員が携帯電話で連絡を取り合いながら、私の前後を二十メートル位の距離でついてくるのだ。地下鉄ホームでは私の真後に立って私を威嚇したりした。私も調査機関に依頼し、写真やビデオに撮った。その一部は警察及び裁判所に提出してある。
六月に入ると、長谷川重夫副会長から「話し合いたい」と連絡が入った。六月十五日に戸田記念国際会館で、長谷川副会長、西口良三副会長、藤原武副会長の三名と面談。そこでは「家を売ってでも、二億、三億寄付すべきだ」と何回も強要された。
七月になり、これら一連の手帳持ち去り事件のことが、『週刊現代』に掲載された。この手帳持ち去り事件の件は、すでに学会・党内部の一部で噂となって広まっていたようだ。ところが、こともあろうに手帳を持ち去った当の三人が、講談社と私を名誉毀損で提訴してきたのである。それに対して、それまで無抵抗に徹していた私も十一月に手帳の返還と損害賠償を求めて提訴したのは前述の通りである。
手帳を奪われたその後も、私は徹底して三年はマスコミには沈黙を守ってきたが、このまま私が黙っていては私や他の多くの人に加えられてきた人権蹂躙行為を是認することになる。私たち家族は腹を決め、昨年五月に創価学会を退会し、創価学会を相手として損害賠償の訴訟を起こすことにした。
つまり、青年部が私を威迫して政治評論家活動を辞めさせたこと、学会の意を受けてOB議員が私の手帳を無理矢理持ち去り、家宅捜索をしたこと、身元不明だが多数の車輌、人員による組織だった連日の監視尾行をされたこと、二億、三億を寄付せよと強要されたこと、それに『聖教新聞』などに誹謗中傷が継続して掲載されたこと、こうした一連の人権侵害について、創価学会および同会の幹部七人に対して、これは組織犯罪だと、五千五百万円の、損害賠償を求めたのである。
あばかれた音声データの改蜜
さて、手帳持ち去り事件の裁判だが、残念ながら一審では負けてしまった。「矢野氏は原告らの求めに応じて、自分の意思で渡したと考えられ、記事のような事実は認められない」と、一審裁判所は三人の主張を認め、「手帳を返す必要はない」という判決がなされたのだ。常識で考えれば、自らの百冊近くの手帳を自発的に他人に渡す人間がいるはずがない。返還を求めても返さないことを認めた一審判決には到底納得できるものではない。その手帳の所有権者は私なのだ。私は当然、高裁に控訴した。二審の東京高裁においてこの一審判決での先方の主張はほぼ全て否定され、私の完全勝訴となった。
一審判決で裁判官の判断を狂わせたのは、公判の途中になって彼らが提出したICレコーダーの存在だった。二回目の口頭弁論の本人尋問で、彼らは私に対して「会談の内容を録音していませんでしたか」と執拗に確認してきた。私が録音していないのを確認したうえで、三回目の口頭弁論で、初めて隠し録りした録音データを提出レせきた。
しかも、それは彼らにとって都合の悪い、私への過激な脅しの発言が削除されているものだった。彼らはそれを一切編集していないと言い張り、そのデータに基づいて、友好的な雰囲気の中で私が自発的に手帳を渡したと主張した。土壇場になって録音データを出すという彼らの作戦は一審においてはまんまと功を奏した。
ところが、皮肉なことにその録音データを出したことが、かえって彼らの墓穴を掘ることになった。高裁の判決で、私の逆転勝訴となった理由の大きな一つはこの改竄録音だった。音声データの解釈が一審とはまったく違う見方がされたからだ。音声データは都合の悪い箇所は削除されているとはいえ、私が手帳を渡すことを抵抗するものだから、どうしても彼らの口調も強くなる。最終的にはやむをえず了承したかのような私の台詞があったとしても、全体を通して聞けば、いたるところに彼らが威迫、無理強いをしているやりとりが歴然としている。
判決文ではく控訴人らの訪問の前後の状況や訪問時における会話の内容に照らせば、控訴人らの脅迫の結果、被控訴人矢野が畏怖して本件手帳等を引き渡し、自宅内の捜索に応じた〉と認定している。
三十日に彼らが家探しを強要した際については、判決文の「事実関係」では、ここまで記述されている。〈被控訴人矢野は、「するなら勝手にやれ。不法侵入、脅迫ですぐに訴える。」と述べた。これに対して、控訴人黒柳が「やるならやってみろ。」と言ったので、被控訴人矢野は110番に通報しようと電話の受話器を取り上げたところ、控訴人黒柳が急いで立ち上がり、被控訴人矢野につかみかかってこれを止めた。控訴人大川は、「どうしてもだめなら、全党挙げて矢野をつけねらう。」と述べた〉
音声データについても公明党OB三人は「編集はしていない」と主張して、編集改竄が行われた録音ではない旨の鑑定書を提出している。それに対して、私のほうも権威のある音響調査機関に鑑定をお願いして、削除の可能性があるという鑑定書を提出した。そもそも彼らが使用したICレコーダーが、痕跡を残さずに編集できることをウリにしたものなのである。高裁では改竄の可能性についても詳しく検討された。
昨年十一月、高等裁判所の裁判官や録画録音スタッフら約八名か九名が私、の家に現場検証に来たのである。これは、かなり異例なことらしい。私と私の弁護士、講談社の弁護士、公明党OB三人と彼らの弁護士、合計三十名ほどが立ち会った。音声データの反訳文にあわせて、各部屋でのやりとりを、場面ごとに彼ら三人に何回もやらせた。家探しの最中も録音は続いているため、部屋と部屋との問の移動時間も録音時間と適合するかどうか、厳密に調査された。
最終的に、判決文において〈本件音声データは、被控訴人矢野宅において録音された当時の音声データ(略)について、その後に削除等の加工を施されたものと認められる〉とデータの改竄が認定された。また〈録音がないことを理由に録音されたもの以外の発言等がなかったと認定することができない〉と、私や妻が述べた内容を証拠として認定するのが相当であるとも記されている。
手帳の返還請求も一審では却下されたが、高裁では私の主張が認められ、〈念書作成の事実をもって、被控訴人矢野において心底任意に本件手帳等を控訴人らに交付したものと認めるべきものではない〉と、一審の判決を棄却。彼らに手帳および関連資料の引渡しが命じられることになったのである。
以上のように高裁判決では、講談社と私の言い分がほぼ全面的に認められた。また手帳の引き渡しについては仮執行ができるとされている。当方は手順を踏んで、まず手帳の引き渡しを先方に求めている。
学会の行く手に立ち込める暗雲
まだ最高裁での審判が残っているため、私としても油断は許されない。しかし、東京口高裁で私が勝ったことに、池田大作名誉会長は激怒し、創価学会、公明党はかなり動揺しているとする話も伝わって来ている。今回の逆転勝訴の判決において、手帳の持ち去りはOB議員個人の行為ではなく、創価学会、公明党の首脳の意向によって行われたことが証明されているともいえる。今回の高裁判決は、前述した学会および青年部長ら幹部七人に対する訴訟において、私にとって極めて有力な依拠になる可能性がある。
学会側からすれば、今後の裁判の行方にいきなり暗雲が立ち込めてしまった感じだろう。幹部七人への訴訟は単に損害賠償を求めたというものではなく、言論妨害や人権侵害が一つの意思の下、組織的に行われているという観点からの訴えになっている。私が勝てば、創価学会が宗教法人として適格か否かの問題に発展する可能性があるという政治家もかなりいるようだ。
これからの裁判においても有力な証拠の一つとなっていくのが、OB議員たちが来宅のとき録音し、法廷に証拠として提出してきた音声データとその反訳文だ。ごれは自縄自縛の落とし穴に自ら転落したようなものだ。過激な脅し台詞は削除されているものの、これを見れば、組織がらみの人権蹂躙事件であることは一目瞭然だ。何故このような学会、公明党に不都合なものを彼らは出してきたのか。一審においてOB三人の勝訴を勝ち取るために功をあせったのかもしれない。誰が今回の作戦を指示したのか不明だが、学会・公明党の危機管理能力の低下を示すいい例だと思う。
今後の重大な問題として国会喚問がある。昭和四十五年の言論問題のときに国会から池田氏証人喚問が要求され、池田氏は終始それを拒否し続けた。また月刊ペン事件の名誉毀損訴訟でも法廷に証人として出廷することを嫌がっていた。今も池田大作名誉会長にとって怖いのは、国会に呼ばれることのようだ。手帳裁判によってその可能性が高まったことも否定できないのではないか。民主党をはじめとする野党は、私や福本潤一元公明党参議院議員を国会に参考人招致することを要求して、公明党に揺さぶりをかけてきた。公明党が一番恐れているのは、私や福本氏の招致に関連して、池田氏までが国会に呼ばれることであるとされている。
国会において例えば、国民新党の亀井静香氏の質問に対して公明党の斉藤鉄夫環境相は「(矢野氏と創価学会・公明党の件は)東京高裁で係争中の話で、東京地裁では矢野氏と出版社が全面敗訴した。『政局絡みで利用しよう』という質問だ」と答えている。
斉藤氏の発言の意図するところは、全面敗訴するような人間の言うことは信じるに値しないということだろう。ところが、そのような逃げ口上はもう通じない。とりあえず今後、公明党は、かつて党の最高幹部であったOB三議員の理不尽な所業をどう説明するのか。 現在、民主党は小沢問題で「矢野の参考人招致」どころではないようだ。しかし、言論で闘い、法廷で事実を証明していくという私の立場は今後も変らない。今、学会の間で「会員は財務(寄付)の負担に苦しみ、選挙の票集めに東奔西走させられている」(学会中堅幹部)。「ただ号令をかけるだけでふんぞり返っている学会の宗教官僚(本部上級職員)」(同)、「『聖教新聞』を見ると池田、池田のオンパレード。池田先生は異常なほど個人崇拝を奨励している」(同)などという声があるのを池田氏はどう思われるのか!?晩年にあって池田氏は宗教者としての道を逸脱しているように私には見える。国会が私を参考人に呼ぶのであれば、いつでも招致に応じる覚悟でいる。
(やのじゅんや)
♪・*.。.☆★:*・゜゜・*.。.☆:*・゜♪・*.。.☆★・*.。.☆★:*・♪